この物語はノンフィクションストーリーです
どこから読もうと読んでくださる方のご自由ですが
できればはじめからお読みいただいた方が
ストーリーが伝わり易いと思います('ω'*)♪


全体の目次は
こちら

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色んなことがあって思い悩んでいたが、

それでも自分が幸せであるという感覚はなくならなかった。

 

 

幸せとは自分にとって不都合な状況がないこととか、

状況や人など外的環境に左右されるものじゃない。

 

 

以前の外側の世界に振り回されていた私なら考えられないことだけど、

困ったことがあっても、それによって恐れの感情を持ったとしても、

それが幸せでない理由にはならなかった。

 

 

どんなに探しても得られなかった幸せな実感が私の中にあり続けている。

ずっと気が付かなかったけど幸せとは

自分の中にずっとあり続けていたのかもしれない。

 

 

だが自叙伝に事件のことを書くことで何かが変わるんじゃないかと、

淡い期待をしていたが特に何も変わらず。

 

 

タイミングじゃないのかもしれないと思いつつも、

どうすることもできずに苦しい日々を送っていた。

 

 

誰かに相談したくても一番身近にいる夫に事件のことを話すと、その度に

 

「おかしい!どういうことか意味が分からないから判決文を入手しろ!」

 

と、判決文を入手しろとしきりに言われた。

 

 

別に私のためというよりも、

自分の知的好奇心のためといった感じで

事件の詳細を知りたがっていて、

怖くて身動きがとれない想いの私には傷口に塩を塗られる気分だった。

 

 

仕方なく判決文を入手する方法をネットで調べ、

裁判所に問い合わせたが、

本人または家族でないと取り寄せられないと言われ入手できなかった。

 

 

判例集なども調べたが載っていなかった。

旦那さんが弁護士の友達に相談してみようかと思ったけど、

いつも忙しそうにしているから申し訳なくて頼めなかった。

 

 

何よりも感覚的に判決文を入手することがピンと来ず、

今することはそれではない気がしていた。

 

 

確かに、人がいのちを大切に生きていれば、

時として、奇跡のような出来事がおこる。

 

 

だが奇跡が起こることが大切なのではなくて、

すべてが自分故に起こり、

一見、災難のようなことでも自分にとって必要で

起きているという大原則がある。

 

 

きっと人はすべてが順調に進んでばかりいると、

自分を省みることを忘れてしまう気がする。

 

 

本来は扉が開いた奇跡のような状態が通常だが、

あえて自分を感じる機会を持つために人は、

さまざまなトラブルを経験するのかもしれない。

 

 

旧章の最終章で自分からズレればズレただけ、

戻る喜びがあると語ったように、

この恐怖すら自分に戻る喜びとして、

自分を大切にしていれば自然と扉が開く日がやってくると信じていた。