この物語はノンフィクションストーリーです
どこから読もうと読んでくださる方のご自由ですが
できればはじめからお読みいただいた方が
ストーリーが伝わり易いと思います('ω'*)♪


全体の目次は
こちら

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私も多少、チャネリングができるが

人それぞれチャンネルを合わせやすい周波数があって、

私は霊的な存在とコンタクトとるのは苦手なので、

「たまのを」に行った時に魂のリーディングのイリアさんがいたら

コンタクトをとってもらおうと思っていた。

 

 

イリアさんは、名前を聞いただけで、

その人が人柄などが分かるので、私よりは可能性があると思った。

 

 

4月下旬に「たまのを」に行ったがイリアさんには会えなかった。

 

 

イリアさんは年の初めにインドに長期で行ったりしていて、

今年に入ってからまだ会えていなかった。

 

 

必要な時には自然と表れてくれるので、

きっとこの時はイリアさんを頼ってはいけないということなのかと思った。

 

 

ビワさんもなんでも教えることは、その人の学びにならないこともあるから、

向こうの人から答えてもらえないこともあると言っていた。

 

 

それは分かっているけど…、

それでも何かのヒントになるのではないかと少しばかり期待していた。

 

 

ビワさんにそのお母さんもそんなに伝えたいメッセージがあるなら

誰かが受け取って伝えてあげないと向こうの世界に帰れないから、

おとぴちゃんが受け取ってみればと言われた。

 

 

あんまり自信はないが「たまのを」の異次元空間でなら

できるかもしれないとメッセージを受け取り始めた。

 

 

流石に意識の周波数を合わせるのに最初は苦労したけど、

徐々にチャンネルが合わせられるようになってきて、

幼馴染にメッセージがあれば教えてくださいと伝えたら、

最初にどうしようもないほどの圧倒的な罪悪感と共に

「すべて私が悪い」というメッセージと

「迷惑をかけて本当に申し訳ない」という強い謝罪の気持ちが湧いてきた。

 

 

ビワさんに「すべて私が悪いって言ってますけど

自殺ってことですかね」って説明しながら、チャネリングを続けていた。

 

 

私はどちらかというと感覚派のチャネラーなので

言語で受け取っているというよりも、こういう感情を持っていて、

こんな感じのことを言っているという漠然とした感覚を

自分で読み解いて表現していたので、多少、誤訳があるかもしれない。

 

 

とにかく幼馴染に対しても、その姉に対しても、しきりに謝っていた。

 

 

二人が生まれて来てくれた時に、本当に嬉しくて、

ものすごく幸せだった。

 

宝物を授かったって心から思ったこと。

二人と会わせてくれたことを神様にとても感謝した。

二人に「生まれて来てくれてありがとう」って思ったこと。

 

 

それと同時に二人をどう育ててよいか不安で仕方なかったこと。

 

 

二人のことが愛おしくて愛おしくて、心から愛していたから、

二人に良かれと思ってやってきたことが

裏目にばかりでてしまったこと。

愛していることをうまく伝えられなかったこと。

 

 

一生懸命、育児書を読んで、不安とともに子育てしたので

厳しくし過ぎてしまったこと。

 

 

ただ二人のことを心から愛していたのに、

それが上手く表現できなかったことをとても悔やんでいて、

ごめんなさいってしきりにいっていた。

 

 

お母さんご自身がとても生き辛くて、

不安と共に彷徨って生きて来て、

どうすれば良いか分からないまま苦しんで生きて来たらしい。

 

 

それでS子さんのことに関しても

「あの子をこんな風にしてしまったのは、私のせいだから、

あの子を許してあげて欲しい」って言っていた。

 

 

S子さんに対しても、ものすごく後ろめたい思いがあるみたい。

 

 

幼馴染に対しても、

「私のせいで、こんな目に合わせてごめんなさい」ってしきりに言っていた。

 

 

 

当日のことに関しては、何があったか、

どうして火がついたかは教えてもらえないけど、

とにかく「すべて私のせい」ってすごく自分を責めていた。

 

 

あと幼馴染に関しては、

私なんかを母親に選んで生まれて来てくれたって

すごく感謝していたし、

普段から優しくしてもらっていたって、とても感謝しているみたい…。

 

 

あと「(二人とも)愛している」ということと

「見守っている。少し時間はかかるけど、必ずうまく行く」と言っていた。