この物語はノンフィクションストーリーです
どこから読もうと読んでくださる方のご自由ですが
できればはじめからお読みいただいた方が
ストーリーが伝わり易いと思います('ω'*)♪


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文章中の太字は現在の私(2013年~2014年)の解釈です


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2012年02月16日に当時を振り返って書いたmixiの日記より一部、再録


地に足をつけて生きることを、グラウンディングという。


スピリチュアルなことは本来は特別なことじゃなくて、
生活と密接したもので日常生活に活かせるものが多い。


だが一方で通常の生活において数々の矛盾を生じることもあり、
今まで常識だと思っていたことがひっくり返るような体験をすることもあり、
とても面白いので現実逃避的に夢中になってしまう人もいる。


だがスピリチュアルなことばかりに傾き過ぎると意識が頭のほうに上がり
足元がおろそかになってしまい地に足がついてない状態になり、
さまざまなトラブルが起きやすくなる。


しかもグラウンディングができてない状態は
フワフワとしていて現実感に乏しく、現実を直視せずに済むし、
多幸感が増すなど利点もあるので、本人が問題視せずに
周囲に多大な迷惑をかけることもある。


このように現実を疎かにしてスピリチュアルなことばかりを行っていると
地に足がつかなくなるので、現実にバランスよくスピリチュアルを
取り入れていくのが望ましい。



私もグラウンディングが苦手なほうだったが、
このころ他にもグラウンディングが苦手なことに関して気付いたことがあった。


私が周りのエネルギーの影響を受けやすい理由として、
私のグラウンディングの甘さを指摘してい人がいたが、
同時期に全く違うところでは私は誠実で実直でグラウンディングは
しっかりしていると言われてことがあってその矛盾が不思議だった。


そして、ある時にグラウンディングを甘くすることによって、
実は何か都合が良いことがあるのではないかと考えてみた。


グラウンディングが甘いと都合のいいことは…、
現実を直視しないでいいことだった。どうやら、
そのグラウンディングの甘さを指摘してきた人達のことが、
嫌いだということに気が付かないように、
無意識的にグラウンディングを甘くしていたようだ。


嫌いだということを気が付かないように、
少し浮いてるぐらいのが感覚的にもフワフワして
見たくないことから目を逸らすことができた。


嫌な自分、嫌な出来事、醜い自分の感情を直視しなくて済むからだった。